よく着る洋服


JUNE 2015

 私はここに来て、あまり面白いことも無かったけれどそれでもどこがどういいのかと言える、いくつかの事があった。  例えば、よし夫くんと出会えた事もその一つだった。よし夫くんはまだ子供で、子供というのは、ハチ巻きなんかをして町内会のお祭で太鼓を叩くような「THE子供」という意味で子供だと言っているのではなくて。  子供っぽいという事。英語で言うとチャイルディッシュ。  よし夫くんとの出会いは、私がここに来てすぐ、体育館のような所で、ボール投げをして遊んでいた時分、横にひっついていた。  私はよし夫くんが精神を侵されて、何か悪いことをしているのを感じた。体育館でボールを投げている時も、手をぐるりと回して、つよく見せようとばかりしている。そして、変な方向にボールが転がると、ぐるり回していた腕を恥しそうに、内側にひっこめた。 「投げやりな投げ方」だった。  私がこの収容施設を訪問したのは、中国の事をよく知ってほしいと思ったからだ。  私は中国から日本に渡ってきて20年になる。中国は私にとって祖国であり、両親と生活を共にした明るい風景のある場所。日本はどちらかと言うと、気持ちのうえで明朗な場所である。  明るさというのは、私には言いづらい、呼吸が苦しくなるぐらいの人間らしさも含んでいて、それが私にとっての祖国・中国だ。日本に来て、ここが明朗だと感じ私の「ふるさと」だとも感じた。字引きによれば、 〝うそやごまかしがない。〟とも出ている、「明朗」という言葉。日本は私にしてみれば自明性を持っている。ここにある素直な心とか、言葉の中に息づく謙虚な物はそこに元々あって、私の箸につままれるのを待っていたもの達であった。  そして、どんどん私は日本の文化を吸収する事ができた。人に親しみを感じる、伝えたいような事も、出てきて、山のようになった20年の思い出もどこか重たい感じだった。  私にできること。  そう思い立つと、私が祖国に対してしていない事とか、するべき事が浮かんだ。そこに在った事や、それまで見てきたもの。  むしろ、私の中のやさしさに日本という形が与えられた事で、あの人間臭い祖国への感受性を、辿り直してみたいという気持ちなのかもしれない。欲張りにも、私の「中国」を  よりハッキリ、新しく  したいのである。私は日本のヒトに言葉よりそれを伝えて、新しく生活をしたい。20年目にして、そんな気持ちになった。  色々な所に、「中国のことを伝えたい」と言いに行った。経験を伝え、教室のような所で私はしゃべり聞かせたかった。そういう流れの中で刑務所へも足が伸びた。  犯罪者には未来への展望とかコミュニケーションが必要なのである。  子供っぽい人が使っているのは頭ではなく、弱い心の内側にある、しなしなした取っ手なのだという事に、私はここへ来て知った。  みながみなコミュニケーションをしているわけではないのだと。 「しまった!」と思うと同時に私の中で、 「くずされる!」  という危険を知らせるセンサーが鳴っていた。しなしなと風に揺れるヤワな取っ手を、ここの子供達が、触るせいで、ざわざわしている。その弱いざわざわとした圧迫感に足元をすくわれてしまい、くずされるのだ。  私はこんな世界がある事もまた、日本を故郷のように感じたように、知っていたように思う。今はそれが、普通になってしまったから。偉人になりたいわけではないのに、ここに居ると偉大な自分を誇張して表現したい欲求に駈られた。しかし大人が子供に、「私を尊敬しなさい」と言うのも可笑しく、それは当初の目的とも違う表現だと思う。  悪いことというのは、ようは、自分をいためつけるような事をいう。自分が優しい心を持っているのが逆に窮屈になって、自分をいじめてしまう事をいう。私はそれを彼に感じて彼は彼で、私には計り知れないようなサディズムを私に持ったようだけど……。  まず私を怯えさせたのは、刑務所の中で、私が看守に道を案内してもらって、小便をしようとした時、彼の目がちらりと追った事だった。そのちらりと追うというタイミングは説明するのが難しく、説明文として発表できない。  よし夫くんが例えば私をいつも気持ちよくさせようとしてくれるのは有難いけど、その端緒がサディズムにある事が明白な、ボディタッチ。その時、その時に感じるある言いようのない不快なざらつきを、思い出させる。とにかく私は小便をしにでかける時に、彼にマークされた。そしてそれからは度々、彼の目が私を這い、私に有難くもなんともない攻防を要求した。  看守に案内をして貰い、私は小便をした。あとを追ってきた彼は、背後から、私の尻に自分の手を添えた。それを何度も何度もするんで、最初私はよし夫くんを 「ホモセクシャルなんだ」と結論していた。  しかし、私は彼の触り方がどこか投げやりだとも思っていて、不快だとも思った。 「気に食わないのかな?」  と思った。私がここに居る事が。  よし夫くんとは、されるがままに、彼の強制的な儀式につき合わされた。私がなにをしたというのだろう。たまたま、ここで、何かの因果関係によって収容されたにすぎないのだ。毎日、一緒に生きていると思うと、一緒の欲求不満を抱えているようにも思った。  ただ外を眺めているだけで、まるでよし夫くんが私ごしに外を眺めているようだった。  そういう風に、私はよし夫くんに、外を眺めさせられているという気持ちになる事があった。  よし夫くんが自らのサディズムに終止符を打とうとし、それが頓挫した事で、やけっぱちに人をあやめたという事は風の噂で耳にしていた。私はよし夫くんを深く理解できた。自らを完成させるためには、 「環境や周囲の協力が必要」なのだ。  しかし、 「それができない人の方が多い」  という事が真実だ。真相である。私も含めて、それがよく理解できた。彼の優しさは完成できないパズル、難度の高いものだった。彼は頭がよくそれをすぐに察知した。物事に諦めしか抱けなくなったよし夫くんは代りにサディズムに突き動かされ始めた。よし夫くんは悩み続けた。これでは最初から自分にはサディズムしか無かったみたいじゃないか、と。弱い者を見ると鞭を振るいたくなった。その瞬間は恍惚とし、勃起のようなものが起った。まるで、その瞬間が、人間的な感情の高まりであるかのように。しかしながら、嘘は嘘なのだ。悪魔が取り憑いているだけで、ここを定点とし観測したくなかったし、されるのもイヤだった。世間の視線はすべて的外れもいいところだ。自分の本質からは遠い、そして世間に呑み込まれるしかない自己もまた的外れで、遠かった。よし夫くんは自殺することにした。流行りのサークル・自殺だ。どんな苦悩を持っているか知らないけど、大した事ではないんだろな~と思いながら連中と会っていた。連中の言いそうな事は分かっていた。「もう消えたい」のだ。「もう先がない」そんな所だった。しかし、そう自分が思っていないのによし夫くんは気づくと、自殺する思い付きよりも、つよい思い付きが頭をもたげる事になった。そのつよさは、よし夫くんが持って生まれた強さでその強い力で、連中の首という首を絞め上げてしまった。だれが彼を止める事ができた? 諦めさせる事ができた? もういい加減彼を縛ってあげようよ。世間の意見が一つになった時でもあった…。  よし夫くんが、私にとってかけがえの無さを残したのは、そこに実は第2の私、第3の私があったからなのだろう。私は優しさというものを損なわずに少しも欠如させずに、40年という長い時間を生きた。 その事が、実は彼と出会うまで思いもしない事だった。  私は「そういう人間」だった。  私は私を知り得、知り得た情報が、今、新しい道筋を描き、きらきらとかけがえの無い。よろしくどうぞ、そんな気持ちなのだ。  よし夫くんはしばらくすると別の棟へ移動した。移動する前日に、私は彼に時間を貰って、足を楽にしながら、彼のサディズムを解放してあげた。彼は私の作業ずぼんを慌てた手つきで、慌てた優しい指づかいで、下ろすと、私の尻の穴をほじった。暖かい指が穴と、仲よしになった。悲しいため息のような物が出ている。そして私から有難くないこの罰を素敵な赦しのような物に変えて剝ぎ取るような、ほんとうの優しさがあった。 「あげるよ」  私は何度も思った。 「僕のお尻の穴を貴様にくれてやる!」と。  泣きながら私は責められた。よし夫くんは勃起した陰部に力なく力を込めて、無表情のまま血を吐いた。私の尻の中で白く広がる。  それから、彼は私を残して、個室トイレを出ると、一発クシャミをした。だから、  つられて私もクシャミをした。